プロトコール マナーの歴史と意味

日本の礼儀作法の成り立ち

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こんにちは。リリーです。

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「プロトコール」日本の礼儀作法の成り立ちについて書きました。

貴族社会と作法の原点「有職」

日本のマナーのルーツは、飛鳥朝廷で働く人たちの階級や行動規範を制定した

冠位十二階」「17条憲法」と言えましょう。

「和をもって尊しとなす」という言葉が示すように、

官僚に対する道徳的な訓戒が中心ですが、

その心得は現在でも日本人の"人間関係の原点"になっているようです。

天皇を中心とする貴族政権の体制が固まる平安時代末期になると、

貴族たちは政権維持のために煩雑な作法を定め、

これらを体系化し伝承する職業として「有職」を置きました。

有職は、当初、宮廷の儀礼、官僚、典礼に精通いた知識人のことを指していましたが、

次第に儀礼や典礼そのものを意味するようになり、

やがて有職に通じることが官位を上げ、出征をするための必須条件となったのです。

武家社会の作法と「故実」

鎌倉時代になると武士が出現し、次第に貴族による政治体制が崩壊してきます。

武士は当時「侍」とよばれ、貴族のガードマンのような孫うな存在で、

振る舞いが粗野であったこともあってその身分は一段低く見られていました。

室町時代になりと、政治的な権力を強固なものにするためにも武士の地位の向上をめざした

将軍・足利義満の命を受け、小笠原長秀らが中心となって、

「参議一統」を編̪纂し、武家の礼節を示しました。

これは、公家の「有職」に対するものとして、

質実剛健な気風を尊ぶ武家の作法(「武家故実」)を記したものです。

戦国時代に入ると、農民が領主に反抗して一揆を起こしたり、

家臣が主君を滅ぼして大名になるなど、「下克上」の風潮が加速します。

権力者たちは自分の権威を固持するために朝廷に権威を求め、

貴族社会の儀式、服装、典礼などを武家典範に加えるようになりました。

その結果、公家の「有識」と「武家故実」を融合した「有職故実」が生まれ、

それがその後の日本の礼儀作法の基盤となっていってのです。

江戸時代に入り、世の中が一転して平和になると、

幕府は士農工商に代表される身分制度によって体制の維持をはかりました。

また、儒教思想を浸透させ、一家の主として絶対的な権威を持つ「家長」を中心にした

家族制度が形成されました。

そうした社会秩序を維持するために、貴族や武士と言った地位の高い人達のものだった儀礼が、

庶民にも広まることになり、婚礼、葬儀といった通過儀礼から、

飲食、服装、振る舞い、文書作成の方法、口上の述べ方などの日常生活全般にわたっても、

詳細なしきたりや作法が確立されました。

そしてこれらが、現代でも根強く残っています。

明治時代〜現代のマナー

大政奉還によって明治時代に入ると、世の中が再び混乱期になりました。

開国に伴い西洋文明が一挙に流れ込んできた事で、社会構造が一変したからです。

明治政府は、文明開化のかけ声のもと、これまでのふうぞくな習慣を否定し、

刀を持つことを禁止したり、洋服を奨励するなど新しい社会を作り上げようとしました。

その中で、学校教育において制定されたのが「教育勅語」です。

 天皇を頂点とする新しい身分制度の確立を目指し

「修身」を作法の基本とした日本独特の礼儀作法が急速に形作られて行きました。

また、欧米の礼法書も数多く翻訳され、和洋折衷の作法が広まりましたが、

内容は適正さを欠いたいい加減なものが多く、かえって混乱を招いてしまったようです。

敗戦後、道徳の基本であった天皇は"神"から"人"になり、

身分制度は廃止され、教育制度も大きく変更を迫られました。

何よりも、家長を中心にした「家」という概念が相続なども含めて法的に否定されました。

核家族化や学級崩壊などによって、

子どものしつけも疎かになっているのが現状ではないのでしょうか。

まとめ



日本の礼法は、体制を維持するために、

時の権力者によって整備されてきましてが、

明治時代以降は西洋の影響を受け、

特に戦後は、核家族化や価値観・ライフスタイルの多様化などもあって人間関係が希薄となり、

権利を主張する傾向が強くなるなど、

控えめでれいせつを重んじる国民性にも変化が見られるようになっているようです。

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