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西洋のマナー・エチケットの成り立ちを書きました。
キリスト教の封建制
「旧約聖書」にあるモーゼの「十戒」には、人が行ってはならない行為として、
殺人、窃盗、強姦などが列挙されています。
絶対的な存在だった「神」によって、
”正しい行為”と”そうでない行為”のすべてが判断されていましたが、
これがもっと古い西洋の「マナーの源流」と言えましょう。
ギリシャ時代になって科学・哲学・芸術が発展すると、
王偉貴族などの間では、キリスト教の戒律よりも、現世での肉体的な美しさや、
知性が重んじられるようになりました。
そしてローマ時代になると、支配階級と奴隷階級の間に経済力をつけてきた中産階級がうまれ、
上品な生活を送るためにはどのように振舞うべきかを考えるようになり、
広く一般に認められる行動の規範が作られていきます。
中世に入り、フランク王国カロリング王朝のカール大帝がゲルマン統一をはかり、
ヨーロッパを平定すると、主君と家臣の関係が確立し、封建制の時代に入ります。
家臣が主君に忠誠を誓う代わりに、主君は家臣に俸禄を与えるという主従関係が出来上がり、
この関係を維持するためには、規律やマナーと言ったものが欠かせませんでした。
レディ・ファーストの始まり
中世になってキリスト教が庶民に浸透すると、
道徳的な要素が強まり、「よい行い」を重んじる傾向が強くなります。
この頃のキリスト教の十戒は厳しいく、快楽を禁じるあまり、
誘惑の根源であるとされた女性の地位は低く、聖母マリアを除いて女性は社会的に抑圧されていました。
しかしその後、純潔と母性の象徴である聖母マリアに対する崇高なものとする風潮が生まれました。
更に女性を性的対象としてみるようになった男性は、女性に気に入られるようと振舞うようになり、
さらには、私欲を捨てて、弱者を保護し、、貴婦人を崇拝して忠誠を誓う騎士道精神へと受け継がれて行きました。
11~12世紀になると、イスラム教勢力に奪われた聖地を奮回するため、十字軍の遠征が盛んに行われるようになりました。
十字軍に加わって夫が長期に留守をする間、屋敷を切り盛りすることとなった夫人には次第に公的な地位が認められるようになり、
その結果、女性が”レディ“として振舞うためにマナーが出来上がったのです。
市民革命後のマナー
その後、火薬の発明や戦術の変化によって騎士がその役割を終えると、騎士道精神が廃れ、商業が大きく発展します。
都市部では商人が、地方では大地主となった郷士たちが、新興階級として力を伸ばしますが、まだまだ文化の中心は宮廷にあります。
ルイ14世が君臨した17世紀には、貴族を統括するために儀式や作法が厳しく定められ、
女性にも宮廷婦人としてのエチケットが細く定められて定められてました。
テーブルマナーや、会話のマナー、婦人に対する振舞やパーティでの心得などの
西洋のマナーの基礎が確立されたのはこの時代だと言えるでしょう。
しかし、18世紀になると、フランス革命とイギリス革産業革命により封建制度は衰退し、
以後、マナーやエチケットは新興のブルジョアジーと呼ばれる中産階級のものになって行きました。
まとめ
西洋のマナーは、古代ギリシャ・ローマ時代に始まり、中世前期の封建時代、
後期の絶対王政時代にはキリスト教と封建制の影響を大きく受けて、
宮廷を中心に細部にわたるマナーやエチケットが確立されました。
貴族層が中心だった時代から、フランス革命やイギリスの産業革命といった大きな社会変革期を経ると、
その後は経済力をつけた中産階級にも広まりました。