こんにちは。りりーです。
数あるサイトの中から当サイトへご訪問して頂きありがとうございます。
ここでは、前回の続きで日本の伝統文化をまとめてみました。
歌舞伎
歌舞伎とは Wikipediaより
我が国の代表的な伝統演劇、17世紀初頭に出雲の巫女の阿国が京都で念仏踊りとして
「かぶき踊り」を黄興したのが始まりとされます。
阿国のあまりの人気に女性の歌舞伎は風紀を乱すと禁止され、
それ以降は男性のみで演じられるようになりました。
「隈取り」という派手な舞台衣装や、
舞台下手から客席を通って後方に抜ける「花道」など舞台装置も独自に工夫され、
演劇、舞踊、音楽の総合芸術として江戸時代に現在のようなスタイルが確立され、
今日に至っています。
能・狂言
能とは Wikipediaより
能は約700年の伝統を持つ最古の音楽劇で、日本の代表的な舞台芸術の一つです。
その原型は日本固有の神楽系の歌舞伎に、7~8世紀頃の大陸から伝わった散楽が混ざってできた猿楽と、
農耕神ことに発する田楽が塾生され、14世紀に観阿弥、世阿弥親子によって大成されました。
その草原な壮巌な雰囲気は「幽玄」と表現され、その美の極致を「花」といいます。
現在、上演可能な役250曲は主役やテーマによって「神」「男」「女」「狂」「鬼」に分類され、
能の役者はシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方に大別されます。
狂言は、能の合間に演じられる笑劇で、能が人間の”陰の部分”の悲劇性を厳菁に描くのに対して、
狂言は人間の愚かさ、野蛮さ、哀れみを風刺的に喜劇として描いています。
長い間、能の付属的な演劇として扱われていましたが、
戦後は独立した芸能として認識されるようになりました。
茶道
茶道とは Wikipediaより
茶の湯は、日本の伝統的な生活文化の集大成と言っても良いでしょう。
日常的に行っているお茶を飲む習慣や、来客をお茶でもてなすことにも、
茶の湯の精神が反映されています。
茶道の歴史は、鎌倉時代に栄西禅師が中国から持ち帰った茶の種が日本の風土に根付き、
喫茶という習慣の中から「茶の湯」が誕生しました。
室町時代に、村田珠光らが先達となり、
やがて千利休によって「茶道」として確立されました。
千利休とは Wikipediaより
”侘び””さび”と言った簡素な趣の茶室や露地のしつらい、
掛け軸や花、茶道具の取り合わせなどのすべてが、
亭主のもてなしの精神を表すものであり、
こうした趣は「和敬清寂」という象徴的な言葉で受け継がれています。
まとめ
国際人として、単に語学に堪能だけではなく、
こうした、日本の伝統文化のすばらしさを理解し、
誇りをもって日本を世界にアピールできる人になって頂きたいと思います。
改めて、歴史の勉強とともに関心を持ち
国際交流の出来る人に成りたいと思います。
最後まで読んで頂き有難うございます。