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3月8日・9日の85日目にタヒチ パペーテに寄港致しました。
タヒチ観光
南太平洋の広大な海域に118の島々から成る「仏領ポリネシア」が広がっています。
行政、経済の中心であるタヒチの本島タヒチの本島の首都パペーテの寄港しました。
「南洋の楽園」というイメージの一方で、独立と自治、核実験など、フランス支配下での種々の問題も抱えています。
正式名称は、「仏領ポリネシア」です。
観光地としてゴーギャン博物館、タヒチ博物館、ジェームス・ノーマン・ホール博物館、アラホホの潮吹き穴などです。
また、ダンスとして、タヒチアンダンスを踊ります。
タヒチアンダンスは、ポリネシア諸島に古くから伝わる伝統舞踊で、女性ならではのボディラインを生かしたダンスで、見る人の心を魅了しています。
タヒチアンダンスは、大きく分けるとオテアとアパリマという踊りがあり、
伝統的な打楽器の速いリズムにあわせて腰を激しく振るオテアをイメージする人も多いかもしれませんが、
スローテンポの曲にあわせて歌詞の内容を手の動きで表現するアパリマも、タヒチアンダンスとなります。
ゴーギャン博物館
フランス人画家ポール・ゴーギャン(1848~1903)は1980年代に2度タヒチに住み、独自の画境を拓いた。
その体験をまとめたのが「ノア・ノア」自伝書随想である。「ノア・ノア」とは「かぐわしい香り」を意味します。
また、映画で「ゴーギャン、タヒチ、楽園への旅」があります。(昨年上映)
ゴーギャンは、パリで株の仲買会社の社員として成功し結婚しました。
だが趣味の絵が評価され、印象派のピサロに師事する。これが人生に分かれ目でした。
35歳で退社し画業に専念するが、たちまち生活苦に陥り、やがて妻子と離別する。
幼少時にペルーの首都リマに4年間住んだゴーギャンは、39歳の時、パナマとカリブ海のマルチニク島を訪れ、熱帯の生活に憧れる。
4年後、ハイチに居を定め、素朴な人々の囲まれた生活が気になる。だが絶えず困窮に苛まれ、孤独な死を遂げる。
タヒチ博物館
ポリネシアの歴史、風土、民族に関する資料を展示した博物館です。
南太平洋圏で最大規模を誇ります。
ポリネシアの生活民具の展示を中心に、ポマレ王朝の遺品、マラエなどの祭具の復元など、ポリネシア人の古来からの生活様式が学べます。
中庭を囲むようにいくつかの建物で構成されている、緑あふれる静かな環境です。
パリのオルセー美術館の協力の元、40点以上展示。
ジェームス・ノーマン・ホール博物館
世界的に有名になった「バウンティ号の反乱」をつづった作家ジェームス・ノーマン・ホールである、彼が愛したタヒチの美しい庭園や書籍、
アンティーク家具などがあります。
ビーナス岬
1769年にキャプテン・クックが金星を観測するために立ち寄ったビーナス岬です。灯台があります。
パぺノオ渓谷
タヒチ島北海岸の熱帯植物の生い茂るパペノ オ渓谷から1,500m級の山々、太古の火山の クレーターの展望出来ます。
モーレア島観光
豊かな緑が広がるモーレア島です。
1日はフェリーに乗ってモーレア島に移動してバスで観光をして、プライベートビーチのようなビーチで海水浴、シュノーケリングを楽しんで参りました。
透き通る海で写真で見た通りの綺麗な海に浮かぶ海の家が素敵でした。
まとめ
タヒチへ寄港する前に3月3日の「お雛祭り」がありました。
この日は、ひな人形を飾って女の子の健やかな成長を願う日として、洋上で「雛祭りパーティー」をして頂きました。
いつも節目ごとに色々な行事を開催して下さって、楽しく過ごさせて頂きました。
最後の寄港地となりました、タヒチ パペーテからピースボートに乗船して、いよいよ横浜に向けて出港しました。
3月25日、横浜港まで順調に行けば帰港の予定です。
まだまだ長く乗船して行きますので、乗船中は、楽しみました。
是非、お時間と船旅にご興味ある方は、豪華客船とは言えませんが、船内ではもちろん、楽しめますし、
寄港地ごとに、いろんな方の乗船者(水先案内人)が講演をして下さり、
学べることも沢山あります。
乗船者同士の交流もありますが、色んな体験もできます。
ご検討してみてはいかがでしょうか?
お勧めいたします。
今日も素敵な1日をお過ごしください。
最後まで読んで下さり有難うございます。