こんにちは。リリーです。
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「祭」のしきたりとして、7月から10月までの行事を書きました。
夏から秋にかけて収穫の時期になります。
七夕(7月7日)
牽牛(けんぎゅう)星(わし座のアルタイル)と織女(しょくじょ)星(こと座のベガ)の二つの星が、
年に一度、天の川を挟んで逢うことを許されるというロマンチックな中国の星伝説と、
二つの星を祀って裁縫や書道の上達を祈願した「乞巧奠きこうでん」、
さらに日本古来の農村に伝わる「棚機津女たなばたつめ(神様のために衣を織る女性のこと)」の習慣などが重なって生まれた行事で、五節供の一つです。
「七夕飾り」の起源は平安時代の末期と言われていますが、
江戸時代には現在のように願い事を書いた短冊をつけた笹竹を飾るのが一般的になりました。
竹は成長が早く、それだけ願い事も早く天に届くという考えから、笹竹が使われたようです。
今は星祭りとしてこの日が晴れることを多くの人が望んでいますが、
かつての農村部では、盆の行事の一環として、この時期の雨を清めの雨と捉え、
短冊が流れるほどの雨が降ることを望んだそうです。
盂蘭盆会(7月13日~16日)
盂蘭盆会(うらぼんえ)は、「お盆」「精霊会しょうりょうえ」とも呼ばれ、
先祖や死者の霊を家に迎えて供養する仏教行事です。
サンスクリット語の「ウランバーナ」(逆さまに吊るされた苦しみ)という意味を持ち、
先祖の霊を供養する事で、そのような餓鬼道の苦しみに遭わないようにとの願いが込められています。
盆の期間は、地域によって新暦に則り七月にしたり、旧暦に則って八月だったりします。
祖先の供養をするために、一般的には七日頃に墓の掃除などを行います。
また、地域や宗派によって盆の行事のしきたりはさまざまですが、
「迎え火」を焚いて十三日の夕方までに精霊を迎え、
十六日の夕方に「送り火」とともに精霊送りをするのが一般的です。
宗派によっては仏壇とは別に盆棚(精霊棚)を設け、
精霊の乗り物を野菜でたとえて"きゅうりの馬(早く来るように馬を)"や
"なすの牛(ゆっくり帰るように牛を)"を作り、
花などを供えるところもあります。
重陽の節句(9月9日)
「重陽ちょうようの節供」は、桃の節供や端午の節供と比べるとなじみは薄いかもしれません。
中国の陰陽の考え方では、偶数は"陰の数"、
奇数は"陽の数"ととらえ、最大の"陽の数"である「九」が重なる九月九日を「重陽」とし、
大変めでたい日として延命長寿を願うようになり、
平安時代に宮中行事となり、江戸時代に五節供の一つとなりました。
重陽は別名「菊の節句」とも呼ばれ、この日に不老長寿の象徴である菊の花を浮かべた酒を飲めば長寿を得られ、
災いを避けることができるとされています。
それが時代を経て、菊見や、菊人形などの形で菊を愛でることにつながったようです。
また、この日は「御九日おくんち」と呼ばれ、秋祭りをするところも多く、その中でも「長崎くんち」有名な祭りです。
しかし明治時代になって暦が、旧暦に変わると、九月に菊の花が咲かないために次第に廃れてしまい、今日に至っています。
「十五夜」と「十三夜」
日本や中国では古来より月を鑑賞する習慣があり、奈良や平安時代には貴族の間で、月を見て詩歌わ詠む宴が行われていたようです。
その後、庶民の間に豊作を祈る行事として定着し、
月は欠けても必ず満ちるこたから、不老不死の象徴となりました。
特に旧暦の八月十五日(現在の九月十八日前後)は満月で美しく、この日を、月の満ち欠けにちなんで「十五夜」あるいは、秋の季節の中でもさらに真ん中であることから、
「中秋の名月」と呼びます。
また、「十五夜」とともに旧暦九月十三日(現在の10月下旬頃)は「十三夜」と言い、
昔は両方の月を愛でるのが風流とされ、
どちらか一方だけの場合は「片見月かたみづき」と言って嫌われました。
「十五夜」はこの季節の収穫物である芋にちなんで「芋名月」とも呼ばれ、
「十三夜」は「栗名月」「豆名月」とも言います。
三方に月見団子、里芋、栗などのほか「秋の七草」を飾り、お月見をします。
秋の七草とは:
「はぎ、ききょう、おぼな、なでしこ、おみなえし、くず、ふじばかま」。
まとめ
ここでは、「祭」のしきたりとして、七月から十月までの行事を書きました。
日本は季節感を大切にする日本特有のものとして自然や文化、芸術などを年中行事として残せるように、
時代が変わっても過去から受け継がれて来たしきたりを伝承出来るようにしたいなあと思います。
次に最後になります、「祭」のしきたりとしての十一月から十二月の行事を書きます。
長くなってしまいましたが、最後まで読んで頂き有難うございます。